三日月自身が何故円環の中にいるのか、何を目的にしているのかはわからない
そして三日月は何かの目的の為に山姥切を成長させようとしている。
というのが前提条件。
三日月は山姥切国広に関わる円環は抜けたのではないかという考察。
大きな試練とは、三日月の死を受け入れる事ではないか?
恐らく過去に三日月は何かの目的の為に山姥切に活路を見出した
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三日月宗近「だが山姥切よ、おぬしなら、理解できるやもしれんと思った 煤けた、太陽よ おぬしなら」
万感をこめるように言う三日月宗近
ゆっくりと右手の本体を持ち上げ、刃紋(?)を見る
三日月宗近「刀剣に込められし物語を越え この時の行く道の陰りを照らしてくれるのではないかと」
山姥切国広「なにを考えている…あんたは、なにとたたかっているんだ」
三日月宗近「いずれ解る時が来る その時までは、俺はこの円環の中をめぐり続けよう」
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三日月は山姥切に何か可能性を見出し、自分がいない世界でそれを果たす事を望んでいる
その為には山姥切が三日月の死を乗り越え成長しなくてはならない。
だから山姥切を成長させる円環の果てまで来させる約束をループの度にする
神様の約束は絶対である様に、三日月は実直な性格でもあるからそれを守るために光忠を切ってでもそこへ行こうとする
決闘中、三日月が首を振るシーン
三日月が刀解をされてしまうという事実に山姥切がこんなのは受け入れられないという感情をぶつけている
それでは駄目だ、と三日月の瞳が語っている。
今までのジョ伝などで、山伏が折れた際も「こんなことがあってはならないんだ」と叫ぶ山姥切
山姥切にとって喪失を受け入れる、というのはとても難しい問題だった。
千秋楽公演、山姥切は三日月の死を受け入れ、そして刀は惑いを無くし三日月に勝った
そして今までの円環で刀解間際、山姥切に約束を取り付けていた三日月はもう約束をする事はなかった。
今まで一度たりとも受け入れる事が出来なかった三日月の死を山姥切が受け入れる事ができたから。
二人を見守る小烏丸は優しく微笑んでいる。
「またいつぞや始めよう」のシーンで山姥切は吹っ切れた様な表情をしている
どこに顕現したかは定かではないが再度顕現した三日月も微笑んでいる(千秋楽前では暗転の直前に表情が曇る)
まとめ
山姥切は三日月の死を受け入れるという試練で成長したのではないか。
三日月自身も自分の死を受け入れ成長した山姥切を見届け、もう約束をする事はない。
もうこの場所で自分と戦う必要性を感じていないから少なくとも山姥切との円環は終わった。
三日月の目的や円環、何故三日月が山姥切を成長させようとしていたのかはわからない
成長した山姥切がその先で何を成せばいいのか、三日月が何を望んているかはこれからの刀ステで語られていく事になるはず…